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イエローキャブ (芸能プロダクション) : ミニ英和和英辞書
イエローキャブ (芸能プロダクション)[よく, のう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [げい]
 【名詞】 1. art 2. accomplishment 3. performance 
芸能 : [げいのう]
 【名詞】 1. public entertainment 2. accomplishments 3. attainments 
: [よく, のう]
  1. (adv,n,vs) being skilled in 2. nicely 3. properly 4. well 5. skillfully 6. thoroughly

イエローキャブ (芸能プロダクション) : ウィキペディア日本語版
イエローキャブ (芸能プロダクション)[よく, のう]

イエローキャブ (Yellow Cab) は、かつて存在した日本芸能事務所である。
== 概要 ==
もともとは、映画監督黒澤明長男である黒澤久雄が、黒澤フィルムスタジオの芸能事務所部門として「黒澤プロモーション」という名称で1980年昭和55年)に設立。黒澤が、父・明監督の映画『』の制作を手伝うことになるなど多忙を極めたため、遊び仲間で、かつていしだあゆみ朝丘雪路などのマネージャーを務めたこともある野田義治に実質的な経営をバトンタッチする。所属タレント第1号は山咲千里だったが、芸能活動の方向性を巡って事務所と山咲の家族との意見が合わず、山咲は程なく事務所を去ってしまう。
1983年昭和58年)、野田が自ら運営に携わったクラリオンガールコンテストから、堀江しのぶを発掘する。堀江はグラビアページやテレビ番組アシスタントテレビドラマ出演などで成功するが、事務所自体は苦しい経営が続く。更に堀江は人気絶頂の1988年昭和63年)に23歳という若さで逝去、事務所は大黒柱を失ってしまう。この年に現在の社名へ変更、野田が社長に就任する。
野田は堀江に続いてかとうれいこを発掘する。1989年平成元年)に第16代クラリオンガールに選ばれたかとうはグラビアで人気爆発、多くの雑誌の表紙や巻頭カラーを飾る。数年にわたり、高価な写真集の新作がまるで雑誌のごとく毎月のように本屋に並べられ売れ続けるという「写真集クイーン」となり、大成功をおさめた。その利益がイエローキャブの経営の基礎を作り、TV局に強いコネを持つ大手プロダクションの隙間を狙ってバストの豊かな女性を雑誌のグラビアで顔や名前を売る戦略を軌道に乗せた。その後も細川ふみえ雛形あきこらがテレビで人気者となっていった。また別会社として有限会社サンズ(後のサンズエンタテイメント)も設立したが、一方で野田のワンマン経営から資金繰りが悪化し、東洋コンツェルングループの傘下となる。。
多くの所属タレントがTVで活躍するようになっていた2004年平成16年)末、経営上のトラブルで野田が社長を辞任し、会社を去った。野田が進めた多角経営が軌道に乗らなかった上に、野田が親会社に無断で所属タレントに株を交付したことで裁判沙汰に発展。その結果、取締役会で野田を代表取締役から解任する決議が了承された。後任の社長には佐藤紳司が就任する〔イエローキャブ新旧社長会見…巨乳ビジネス行方は? 夕刊フジ 2004年12月3日〕。
佐藤江梨子根本はるみらは留まり、小池栄子がサンズエンタテインメントから移籍したが、雛形あきこやMEGUMIを筆頭に、所属タレントの大半が野田に追随し、野田が社長を務めるサンズエンタテインメント(サンズから社名変更)へと移籍したことで、イエローキャブの所属タレント数は大幅に減少し、規模も縮小した。
ただ、有力タレントである小池、佐藤、根本が残留したこと、また野田が社長時代に培った「イエローキャブ」の名称が持つブランドバリューもあり、その後も大手芸能事務所としての体を保っていた。野田が去った後は、グラビアアイドル路線ではなく女優などを所属させるようになった。
なお、サンズエンタテインメントはイエローキャブの子会社ではなく、資本及び人的関係はない。
佐藤紳司は2006年に辞任。帯刀孝則が引き継ぐが、2012年6月に急死〔イエローキャブ社長急死 58歳 日刊スポーツ 2012年6月29日〕。長らく役員を務めてきた取締役の松山弘志〔小池栄子&佐藤江梨子どうなる? 「イエローキャブ」消滅へ 日刊ゲンダイ 2014年3月20日〕(五木ひろしの兄)が社長となる〔。
2013年3月にライセンスの商標利用により「株式会社イエローキャブプラス」を設立し代表取締役に岡村信善が就任する。当該事務所では、イエローキャブ本体にて長く途絶えていたグラビアアイドル路線を復活させている。
2014年に入り、経営危機及び小池・佐藤の新事務所移籍の噂が報道される〔。この報道についてイエローキャブからのコメントは一切なかったが、4月に入り、京都のIT企業フェイスが立ち上げた新会社「ドリームキャブ」およびイエローキャブより、業務提携のアナウンスが行われた。内容は「ドリームキャブがイエローキャブの芸能マネジメント業務を受託する」というものである。これにより、事実上イエローキャブの業務はドリームキャブに移行し、フェイスが関連会社で行っていたアーティストのマネージメントと統合して再スタートすることとなった。
ドリームキャブの営業開始後も法人としてのイエローキャブは存続していたが、2015年2月10日〔所属事務所経営悪化の噂も…小池栄子がそれでも生き残れる理由 〕と13日〔スクープ!「巨乳事務所」イエローキャブが消滅 小池栄子は独立へ 〕と立て続けに、東京スポーツが事務所消滅の方向へ向かっているとの記事を掲載。
2015年2月13日、帝国データバンク東京商工リサーチにより、自己破産申請に入ることが報道された。2015年1月末で小池・佐藤が契約満了となった事から事業を停止し、事後処理を弁護士に一任、自己破産申請の準備を始めているという。負債は約4億円にのぼる〔芸能プロダクション 株式会社イエローキャブ 事業停止、自己破産申請へ 負債4億円 ,帝国データバンク,2015年2月13日〕〔。
なお、ライセンス契約に基づく商標使用により設立したイエローキャブプラスは別資本で経営されており、この自己破産騒動とは一切無関係である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「イエローキャブ (芸能プロダクション)」の詳細全文を読む




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